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ルーブル美術館ー建物内部(2F)その5−
     ードゥノン翼2F フランス絵画大作その2ー

いよいよフランス絵画の大作も最後の部屋となりました。この展示室こそ最もメインの作品が展示されています。まずはなんといってもこの絵でしょう!誰でも教科書などで一度はお目にかかったことがあると思います。ウジェーヌ・ドラクロワの『7月28日−民衆を導く自由の女神』です。ドラクロワはフランス・ロマン主義時代最大の巨匠です。彼はこの絵を描くことで、1830年の7月革命に応えたのです。ドラクロアは、将官であった弟にこんな手紙を書いています。「私は祖国のために、戦かって、勝利を得たわけではない。しかし、すくなくとも、支持の表明として、絵を描くことができる」と・・・・・自由の女神の左側、シルクハットをかぶっている男が、ドラクロア自身なのだそうです。バリケードを乗り越え、敵の陣営で最後の攻撃を仕掛けようとする群集を描くことによって、歴史的な出来事を叙事詩に壮大に表現しました。

ウジェーヌ・ドラクロワ(Eugene DELACROIX)1798−1863
『7月28日−民衆を導く自由の女神』(Le 28 juillet 1830, La Barricade, La Liberte)
1831年 油彩、カンヴァス
260cmx325cm





新古典主義がデッサンを重視していたのに対し、色彩を追求したドラクロワの秀作である。
ウジェーヌ・ドラクロワ(Eugene DELACROIX)1798−1863
『7月28日−民衆を導く自由の女神』(Le 28 juillet 1830, La Barricade, La Liberte)
1831年 油彩、カンヴァス
260cmx325cm

バイロンの風刺叙事詩ドン・ジュアンがこの作品のテーマです。スペインの貴族ドン・ジュアンは、スキャンダルのため、生まれ故郷のセビリャを去ることになり、長い冒険の船旅が始まります。しかし、そのスタートは、難破で幕開けとなったのです。ドラクロワは、難破のすさまじさよりも、その悲劇が起こる直前の、人間の顔をテーマに描いています。不幸の予感の表現でなのだそうです。

ウジェーヌ・ドラクロワ(Eugene DELACROIX)1798−1863
『ドン・ジュアンの難破(ドン・ジュアンの難船)』(Le Naufrage de Don Juan)
1841年 油彩、カンヴァス
135cmx196cm


『アルジェの女たち』は、風俗画と壮大な歴史の場面を兼ね備えた作品です。ドラクロワは、フランスがアルジェを占領したの2年後に当たる1832年1月11日にモロッコへ旅立ちました。そのときに彼はハーレムを訪問するという望みを叶えたそうです。本来ならばハーレムには男性は立ち入りが禁じられています。それゆえか作品に登場する人物たちの地位や身分は、曖昧なままでなのです。ドラクロアは現地で写生した女性のうち2人だけしか絵画には描きませんでした。これらの女性たちは、果たして姉妹なのか従姉妹なのか、もしくは同じ男性の妻たちなのかという謎に包まれているのです。

ウジェーヌ・ドラクロワ(Eugene DELACROIX)1798−1863
『アルジェの女たち』(Femmes d'Alger dans leur appartement)
1834年 油彩、カンヴァス
180cmx229cm  


次の作品はバイロンの詩を主題にしています。サルダナパールはアッシリアの専制君主でした。その目に余る圧制に対し、ついに反乱が起きます。反乱軍は宮廷に火をつけ、サルダナパール王の寝室にも迫ってきました。王は、自分が死ぬときは女たちも道連れにと部下に命じていました。部下の兵士は王の窮にいた女性たちを一人、ひとり殺していきます。王はその様子を寝台に寝そべって、何事もないかのように冷ややかに眺めています。ひどい男ですよね。
 ドラクロワはこの絵で、色彩感を重視して作品を書き上げました。これが色彩画家としてドラクロワに新しい視点をもたらし、後の印象派画家に継承されていきました。『サルダナパールの死』は、当時酷評されたのですが、若き詩人ボードレールはこれを大いに賞賛しました。

ウジェーヌ・ドラクロワ(Eugene DELACROIX)1798−1863
『サルダナパロスの死(サルダナパールの死)』(Mort de Sardanapale )
1827年 油彩、カンヴァス
392cmx496cm


第4次十字軍がビザンチン帝国の首都コンスターチノープルを攻撃し、1204年にコンスタンチノープルは陥落します。この作品は、フランスの総司令官ボードアン伯が、軍馬に乗って入場する場面です。勝利者の前には降伏を叫び片手を上げる老人、仰向けになった女の屍、子を抱いて慈悲を乞うトルコ人など、血なまぐさい光景が広がっています。後方にはボスフォロスの海が青く広がり、空には暗雲がたなびく、ドラクロワ独特の構図が臨場感を出しています。

ウジェーヌ・ドラクロワ(Eugene DELACROIX)1798−1863
『十字軍のコンスタンティノポリス占拠(十字軍のコンスタンティノープル入城)』
(Prise de Constantinople par les Croises (12 avril 1204), dit aussi Entree des Croises a Constantinople )
1841年 油彩、カンヴァス
411cmx497cm


ドラクロアは虎やライオンなどの獰猛な動物の絵もいくつか描いています。

ウジェーヌ・ドラクロワ(Eugene DELACROIX)1798−1863
『母虎と戯れる子虎』(Etude de deux tigres, dit aussi Jeune tigre jouant avec sa mere )
1831年 油彩、カンヴァス
130cmx195cm


超有名な『メデュース号の筏』です。テオドール・ジェリコーはフランス・ロマン主義の先駆的存在としても知られる巨匠です。同派の偉大な画家ウジェーヌ・ドラクロワにも多大な影響を与えました。確かな写実的描写力に裏打ちされた、劇的な明暗対比による光の表現や、激しさや感情の瞬間を捉えたドラマティックな場面展開などの表現は迫真に迫っています。彼の作品の中に表現される狂気性、異常性、叙情性は後世の画家らにも大きな影響を与えました。人間的および政治的な面からジェリコーの関心を引いた社会的事件を描写しました。その事件とは、1816年に150人以上の乗組員を乗せた軍艦がセネガル沖で難破した事件です。しかしこの作品は公開時に物議と賛否を巻き起こしたのです。政治的な圧力を受け『メデュース号の筏』は人目に触れぬよう、ルーヴル美術館が意図的に買い取って作品を隠蔽したそうです。

テオドール・ジェリコー(Theodore GERICAULT)1791−1824
『メデューズ号の筏』(Le Radeau de la Meduse)
1819年 油彩、カンヴァス
491cmx716cm


メデューズ号の指揮はアンシャン・レジーム期の将校がとっていましたが、彼は20年以上も航海をしておらず、砂州への座礁してしまいます。救命艇の数の不足から、乗ることができなかった者たちは筏を作り、漂流が始まりました。13日に渡る血生臭い航海での生存者は最終的に10名に過ぎませんでした。
ジェリコーは遭難者の救出に向かった船が水平線に姿を現わしているのに、彼らを発見することなく遠ざかろうとしている場面を描いています。彼は見捨てられた人間の存在を描いているのです。彼らの絶望が胸に迫ります。

テオドール・ジェリコー(Theodore GERICAULT)1791−1824
『メデューズ号の筏』(Le Radeau de la Meduse)
1819年 油彩、カンヴァス
491cmx716cm



アリ・シェーフェル(Ary SCHEFFER)1795 - 1858
『Les Femmes souliotes』
1827年 油彩、カンヴァス
261cmx359cm



ダンテの『神曲』を題材にした作品だそうです。
アリ・シェーフェル(Ary SCHEFFER)1795 - 1858
『パオロとフランチェスカ』(Les ombres de Francesca da Rimini et de Paolo Malatesta apparaissent a Dante et a Virgile )
1855年 油彩、カンヴァス
171cmx239cm




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